ケージのネズミ
怒ることは、怒られたこと
怒られたことの後を、理由や、策もなく、
怒りとストレスで、ぶっつり切られている
お金がないとよく言われた 学校は自分のお金でとよく言われた
母の想定外の出費は返してくれとよく言われた
きっと普通だ。普通で、尊重するべきルールだ。自分の出費は自分で、母の出費は母で。ただ、無力感は募った。
母の親も貧しかった。知っている。あなたの親も許してくれなかったことを。
知ってる、だからと言って、そのルールが良い訳ではない。
少なくとも私は今そう思う。自分が苦しんだ経験は、苦しいと思い、語り尽くし、聞いてもらい、味わって、思い込みは緩やかに変化できる形になるまで付き合って、そのへんに置いておきたい。
お金がない、欲求はかなわない、我慢しないといけない、そして我慢する。
我慢して我慢して我慢する。で?
うつだ。どこへもいけない、助けも借りることが怖い、話すことも母親にも父親にも許されなかった、感情は行き場ないまま感じられなくなった
どこかに、点があって、壁があってそこを越えれば、すべて解放されるのだと、探し回って聞いて回った、ただ、始めのうち、無力感が多すぎて、動けなくなって、動けなくなるのがいやなのにそれを解放しようと動いたことで動けなくなって…
きっとそのうちが、ごまかしのふりになるまで、時間はかからなかった。
きっとそのうちと唱える度、ケージの左右を行き来するラットのような気持ちになった。
誰か、何か、探しても、自分には関係ないと思う気持ちが、黒く広がっていって、ただ、文章を書くことだけで、自分が生きていることを確認していた日々だった。
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