交通、つながり。
【依存】
もとから、文字に強く、知的な分野に親和性が突出している。
学校のテストなんかも、その実際ではなく、教科書の文字に過敏反応して、
10~12歳頃では授業全般を忘れたくてもフラッシュバックするので記憶が消えないし覚えることをやめることもできない状態に陥った。
こどもができる選択肢が狭いのは幼児研究でもしていない限りどの家庭にもあるだろう。しかし、今母を断片で思い返しても、割りと重症の育児ノイローゼだったのだろうなと思う。
彼女は他人と繋がっていない。
偏食は自閉症と相関関係があるというが、
自分が辛うじて依存的に積み上げた文章体験から読み取った感覚でわかることは、
⌈自分主導だけで書く、エネルギーの一方通行の文章はのっぺりしていて、読むことも書くことも辛いことがある⌋
のだ。
【扱う、幅、潜在的な交わり】
同じ言葉でも、割り当てられている感情の場所が違う。
黙っている人もエネルギーの形が違う。ひりついたり、のどかな風さえ感じたり、刺すような感覚のあと調和したり、気づかない人、壁が常に上から迫っているのも。
例えば誰かを真似しても、視覚的なことであったり、匂い、説明出来ない何か、違うことがある。
インターネットがもたらしたのは、そのような説明出来ないエネルギーを、世界中に飛ばす容易さ。人が集まる場所で行われているのは、仕事でも、学習でも、交遊でもあるが、名を冠したことよりいくらも多い微量のエネルギーのやりとりが、そこここでみえないうちにうごめいている。
【飛び地】
時折インターネットをしていたり、何時間も文章を書いていくと、
変な道を通る。想像して書いた場所が、ネットで表れ、表れては身を持っていこうとするのだが、実際の方法はかなり厳しい条件になる。
想像と現象の容易さのギャップが悩みの種だったが、
家を持たない日本人ブロガーの出現、ヨーロッパのバックパッカーの気楽さなどを見ているうちに、ロックがかかっているのは世間ではなくこの家だということに気がついた。
いくら旅をして感情を交換し働いても全く疲れない人がいる一方、
自分の体と、心と、意識にかかっている呪いはあまりにもどす黒く、不自由極まりなく、他人を寄せ付けない。せっかくネットに繋がった脳が、家、自分、経済状況、罪悪感のツボを見つけたとたん、檻に入っている気持ちになる。
ここは陸の孤島だ。
道もなく、人もいない。
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