人生がループしている
昨日と同じことをしている気がする。
もうしたくない、みたくないことを、またしている気がする。
人間関係が停滞している時期だ。
同じ人間、同じ関係を相手にしていると、反応がいつも同じになってくる。
職場、学校、家庭…
その集団に属していたとしても、自分との繋がりが見つけられなければ変化は乏しい。
会話があったとしても、発声が自発的でなければ自分はそこにいない。
人と会話しはじめて、現在も続いている、
⌈そこに流れるルールを汲み取ってしまう⌋という不便さ。
私の母はその犠牲者であるが、それに気がついていない。
そしてそれに気付いたつもりでいる私も、どこまでが自分の意識で、どこまでが属す集団の規範かわからない。
集団の多様性が広いほど業績をあげるというが、
仲間として認めて、傷つけないというルールを設ける以上、
必然的に相手を観察する機会が増える。
⌈同種である⌋という意識は一体感を生むが、同時にそれは同様の行動の強制や、異なる行動の抑制に繋がる。
自分が経験しないことは、知りもしないか、知ってもそのうち忘れてしまうが、忘れたことの真っ只中を生きている人がいる。
忘れたことを自分が経験すれば、今自分が抱える問題が問題でなくなる可能性がある。
⌈母⌋というはじめてのルールが、自分にとって脅威であれば、
世界はすなわち脅威である。⌈父⌋という大きなルールが、自分に無関心であれば、世界はすなわち自分に無関心である。
ルールや脅威、自分の思い込みを安全かつ緩やかに壊して再構築するのが親しい人間なのに、私は初めからdisadvantagesを抱えすぎていた。
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